😮自分がたった1000文字で表現できてしまった⁉️
AIxクリプトx投資をテック目線で観測🔭
「まだ言語化されていない心地よい隙間」を日々散策しています。
自分は1000文字だった
ローカルAIに自分らしさを覚えさせようとした事があります。
クラウドのLLMなら簡単です。システムプロンプトにざっくり自分の思考スタイルや口癖を書き込めば、驚くほど「自分っぽく」振る舞ってくれます。コンテキストウィンドウが広いモデルなら、過去のブログ記事を丸ごと食わせて、よりリッチな自分を注入することもできます。
ローカルAIはそうはいきません。小さいモデルでは4096トークンとかコンテクストの壁があります。記事を全部流し込めば、それだけで枠が埋まる(全部流すことすら出来ない事がほとんど)。応答用のトークンが残らない。だから効率化が必要になります。
やったのはこういう手順です。
まず過去に書いたブログ記事を数本まとめてNotebookLLMに渡しました。「この人物の思考パターン、価値観、口癖、興味の重心を抽出して、ローカルAI用のシステムプロンプトに圧縮してください」と頼みました。
返ってきたのは、約1000文字のテキストでした。
それをローカルAIのシステムプロンプトに貼り付けて、いくつか話しかけてみました。
あ、結構自分っぽい。
そう思った瞬間に、なんとも言えない感覚が来ました。
1000文字か、という感覚
虚脱感、と言えば近いかもしれません。でも正確じゃない。
「自分は結局1000文字の人間なんだ」という、かすかな笑いのような、諦めのような、妙な軽さ。
人は自分のことを複雑な存在だと思いたいものです。経験の積み重ねがあって、矛盾を抱えていて、一言では言い表せない何かがある、と。でも実際には、自分の思考のクセや価値観の重心は、かなりパターン化されている。AIはそのパターンを抽出しただけです。
1000文字。それで「自分っぽい」が再現できてしまう。
その1000文字は、本当に「自分」か
ただ、少し冷静になると、別の問いが浮かんできます。
おそらく正確には、「自分がブログで表明してきた自分」 です。書いた言葉から抽出されているので、書かなかった感情、迷って消した段落、口に出せなかった矛盾は、そこにない。
AIが抽出した「自分」は、自分の発信の残像だ。
言い換えると、AIは自分を知っているんじゃなくて、自分が見せたかった自分を学習しているだけ、ということになります。それはそれで、なんか怖い発見でした。
コンテキストウィンドウという実験台
もう一個、技術的な観点から面白いことがあります。
コンテキストウィンドウが無限に広がったとしたら、「完全な自分」をAIに注入できるのでしょうか。
全てのブログ記事、全てのメモ、全ての会話ログ、全ての判断履歴を食わせれば、より解像度の高い「自分」が再現されるかもしれない。でも同時に、それは「自分」なのか「自分のデータ」なのか、という問いにもなる。
コンテキストウィンドウの制限は、技術的な制約であると同時に、「自分とは要約可能な存在か」という問いを突きつけてくる装置でもある。
ローカルAIの4096トークンという壁が、思わぬ哲学的な実験台になりました。
そしてたぶん、トークンが増えても「完全な自分」には永遠に届かない。それがちょっと、安心でもあります。
1000文字の外側にいる自分
結局のところ、1000文字で「自分っぽい」が出るのは、自分がシンプルだからじゃないと思います。
パターンとして抽出しやすい部分があるということです。口癖、思考の入口、価値観の優先順位。そこは確かに圧縮できる。
でも、その1000文字のプロンプトが生成した文章を読んで「自分っぽいな」と感じた自分自身が、プロンプトの外側にいます。
判断している自分は、要約されていない。
だから1000文字の自分は、自分の投影であって、自分の全部じゃない。
そう思うと、あの虚脱感は少し和らぎました。
それでも、あの感覚は忘れられない
AIという鏡が、自分を思ったよりシンプルな形に映し出してきました。怖くもあり、おかしくもあり、なんか清々しくもある。
「1000文字でされてたまるか」と抵抗するよりも、「1000文字でも伝わるものがあるなら、それはそれで悪くない」と受け取るほうが、自分らしい気がします。
「まだ言語化されていない心地よい隙間」はまだある。1000文字の外側に…
最後までお読みいただきありがとうございます😊
kinamon♬



